ひとこと

響の会通信 vol.05 1998.10

この9月、大学の集中講義で学生に交じって、指揮法のレッスンを受ける機会を得ました。院生3人と私の4人で朝9時から夕方4時まで、1日6時間×4日間みっちりと、それはそれは贅沢な実りの多い時間でした。講師は武蔵野音楽大学の長谷川朝雄先生です。
私が棒をふる機会など、合唱団のヴォイストレーニングをする場合を除いてほとんどないことです。でも今回、棒をふる体験を通して指揮者の心理、遊びの棒、ふらない拍、静止など、今まで気づかなかったたくさんのことが判ってきました。例えばこれから年末年始に5回の第九が入っていますが、第4楽章“vor Gott!(神の御前に!)”の大合唱が終わった後の休止で、棒が上を向いて終わるか、下に振り切って終わるかなど、それぞれの指揮者の振り方の違いを見ることに、今からわくわくしています。
今まで歌い手の立場から指揮者とコミュニケーションをはかるために見ていた棒が、これからは、その棒の意味するところを内側から見られる楽しみが増えてきました。
日本語の「教育(教え育てる)」や「勉強(勉めること強いる、あるいは強く勉める?)」という言葉はどうも好きではありません。「教育Education」はもともとラテン語の「Educo=引き出す」からきています。つまり教育とは能力や才能、可能性を引き出すという意味なのです。勉強にしても知らないことを知ったり、分からないことが分かったり、できなかったことができるようになることはとってもスリリングで楽しいことではありませんか。
一生に出会える曲の数は、どんなに毎日勉強していったとしても限られています。一つ一つの曲に出会えたことに感謝して、楽しく歌に取り組んでいきたいと思っています。