ひとこと ソプラノ 池田京子 (響の会通信 vol.12 2002.5)         ひとことへ戻る

 仕事でトラブルが起きるように、コンサートにはハプニングがつきものです。わたしにも、今、思い出してもゾッとするような出来事がいくつかあります。
 初めてバッハのヨハネ受難曲を歌ったときのことです。前日のリハーサルに行ってみると、事務所から確認した上で使っていた私の楽譜と、指揮者やオーケストラが使っている楽譜とは、出版社が違っていたのです。バッハやこの時代の作品は、出版社によって曲の調性もリズムも言葉も、時にはメロディーさえも違っているのです。ヨハネ受難曲の場合も、ベーレンライター版とブライトコプフ版では、楽譜の厚さが倍ほども違います。
 仕方なくその場は、楽譜を借りて初見で歌い、リハーサルのあと、閉店間際のヤマハへ駆け込みました。そしてその夜は、マーカーで歌うところに印をつけたり、譜読みをしたり・・・でも歌い手は、何といっても、たっぷりと眠らなくてはなりません。ただこういう時は不思議なもので、焦る気持ちはなく、淡々とこなし、夢の中でも譜読みをしているのか、朝起きるとこことあそこがこうでと、すっきりと頭の中が整理されているものです。いつもこんなに頭の中がクリアーだったら、どんなに仕事の効率がいいかしらと思うのですが、普段はそうはいきません。
 21世紀は生態や脳の仕組みが解明される時代といわれますが、予測せぬことが起きた時、人間の課題解決能力とはどんなものなのか、頭の中にはどんな電気が走るのか、本当に知りたいと思います。こういう時、わたしは自分の力で何かをしているというよりは、目に見えない力がそうさせてくれるのに身をゆだねているような感覚をもちます。宗教曲だからという訳ではありませんが、グッと集中力を出した時には、何か手を貸してくれているのかもしれません。
 そしてコンサートが終わったときには、心地よい虚脱感感じると共に、クワバラ、クワバラと、唱えるのです。