ひとこと ソプラノ 池田京子 (響の会通信 vol.11 2001.11)         ひとことへ戻る         

 演奏会は「生もの」です。同じプログラムを同じメンバーと同じ会場で演奏しても、客席の雰囲気やそこから伝わってくるものなどによって、毎回、まったく違うコンサートに仕上がります。こちらが発信したものがどう受けとめられ、どのように返ってくるか、それによって次に何を送り返すことができるか、お客様が意識するしないにかかわらず、そのキャッチボールは演奏の楽しさでもあります。
 よく海外の演奏家から、「日本の聴衆はおとなしい」と言われますが、それは抑制からくる客席の静けさや、「クラッシックを聴くときはどうもかしこまってしまう」(会員の方々にはいらっしゃらないと思いますが)というような緊張感によるものではないでしょうか。楽しんで聴いているときのリラックスした息づかいや「オーッ」「いいなぁー」と感じたときの大きなため息や葺き湧き上がるような拍手等々、コミュニケーションの手だてはいくらでもあります。
 でも拍手はひとつ間違えると、とんでもないことになってしまいます。今でも地方のコンサートでは時折、シンフォニーの楽章のひとつひとつで、拍手が起きてしまうことがあります。以前に、某市でシンフォニーを聴いたときのこと、終楽章で3つ繰り返されるコード(和音)の2つめが鳴った直後に「ブラヴォー」と叫んでしまったお客様がいました。そして最後の3つめのコードが鳴り終わったと、会場がどんなに白けてしまったかは、お話しするまでもありません。「今夜のコンサート代を返して!」と言いたかった聴衆も大勢いらしたことでしょう。しかしこれは何も地方都市に限ったことではありません。
 サントリーホールで聴いたキャスリーン・バトルのリサイタルでも、歌曲集の一曲一曲の間で、拍手を送っていた熱狂的なファンがいました。彼らにはバトルの、あの迷惑そうな顔も、喜びの顔に映ってしまうのでしょうか。
 オペラアリアなど、一曲ごとに「わぁー」と拍手が欲しいこともあるでしょうし、歌曲の中には、一曲づつ途切れると歌いにくいものもあります。たいていの場合、演奏家の姿や動きを良く見ていると、必ずメッセージが送られてきているものです。拍手が欲しくないときは、ピアニストが曲と曲の切れ目にペダルを切らないで、つまり、前の曲の音を残したままページをめくって次の曲につなげたり、と、見ていて涙ぐましいほどのメッセージが送られていることもあります。
 ともあれ、ふぁ〜っとリラックスした客席の息づかいや、全身を耳にするような心地よい緊張感が創り出す「生演奏」の醍醐味を、演奏家も聴衆も共に味わいたいものです。