無人島に一枚だけCDを持って行くとしたら・・・・・・僕ならシェーンベルクの弦楽六重奏「浄められた夜」かな。できたらウィーンフィルで。“他の男の子供を身ごもった恋人と静かに語り明かす夜。生まれる命を二人で大事にしようという思いは限りなく浄化され不思議な幸福感に包まれる”これはデーメルの詩に基づいている。初演の際は散々誹謗中傷を浴びせられシェーンベルクをいたく傷つけたそうだ。初めてカラヤンでこの曲を聴いた時、あまりのせつなさに胸が苦しくなり、あまりの官能性に下半身が痺れたものだ。あれは小学5年生の頃だったかなあ。似たような経験は大人になって武満徹の「風の盆」を聴くまで無かったっけ。(官能というより郷愁を掻き立てるサウンドだったが。)バイロイトで「トリスタンとイゾルデ」を見た時も感動はしたけれどオペラ歌手の実在が純粋な音楽的経験を弱めた気がしないでもない。(だからオペラは聴くに限る)
12音技法という20世紀の大発見で曲を書くようになってからのシェーンベルクは、なんて凄い作曲家なのだと畏怖も感じるけれど、共感はそれほどない。しかしピカソに優れたデッサン力やロマンティックな内面があるように、シェーンベルクには大変な和声法の知識があり、歌心にも満ちている。
こんなに才能に溢れているのに同時代のR.シュトラウスやマーラーと違って、社会的には弱者で貧困にあえいだ。師ツェムリンスキーの妹である妻は下宿させていた若い男と出奔し、後にその男は自殺する。彼女が戻ったところでシェーンベルクの心が癒えるものだろうか。彼の描いた自画像があるけれど、その表情は恐ろしく暗い。僕が強く惹かれるのはこういう苦悩を背負ってなお美しい響きを生み出す作曲家魂なのだ。
ところがこういう人でも力の抜けた明るい曲を書くことがある。作品番号の無い「キャバレーソング」がそれ。ベルリンのキャバレーの音楽監督を務めていた時作曲したもので、風刺に満ちていて大いに笑える。でも二流作曲家には到底書けない品の良さと質の高さだ。女性歌手は男装し歌と演技で世相や男女の機微を表現する。当時多くの作家、芸術家が楽しんだことだろう隠れた名曲だ。じゃあ無人島にこれを持って行けばいいじゃないかと言われそうだが、こんな曲きいていたら、女性と楽しみたくなるではないか。無人島なのに。