エッセイ

ある瞬間

松尾 葉子/指揮者

1999.05

松尾 葉子(指揮者)
松尾 葉子(指揮者)

演奏家なら誰でも経験したことがある「アガル」という現象についてお話したいと思う。
指揮をする時にアガルことがあるのかという質問を時々うける。舞台に立つということに関しては多少の緊張をともなうこともある。あまりに平常心で冷静な場合は時として演奏がおもしろくないこともある。

誰でも舞台袖から舞台へ一歩踏み出すのは勇気のいることだ。指揮者の場合、必ずオーケストラや合唱団と一緒に舞台にいるわけだから、一人ではないという安心感がある。聴衆に対してアガッテしまうということはほとんどない。むしろオーケストラとのリハーサルの初日に、どんな感じで音が出てくるのか不安だったり、自分の表現したいことがうまくオーケストラに伝わるのだろうかといった気持ちから、緊張することはある。
たとえばソリストとコンチェルトを演奏する場合も、突然の予想しない表現やテンポの変化にうまく対応できるのだろうかという不安は時々感じることがある。やはり指揮者は聴衆に背をむけているということで、ソリストの緊張とはだいぶ違うのではないかと思う。
最近、私は舞台でピアノを弾くことが多くなった。もちろんオーケストラと一緒なのだが、指揮者と違って、実際にピアノの音を出さなくてはいけない。それに横むきとはいっても聴衆の視線を感じるわけである。以前はピアノを弾くというだけで、すごくアガッテいた。練習で指が動いていたところでも、舞台に出ると指がもつれて、うまくいかないことが多かった。
そこでピアニストにいろいろ話をきいてみた。どうしたらアガラなくなるのか。私の親しいピアニストは良い方法を教えてくれた。舞台に出て、演奏する前に聴衆の顔をよくながめることだと言っていた。そして落ち着いてから弾き始めるといいらしい。実際に私は舞台でそれを実行してみた。確かに効果があった。もちろん練習不足の不安がある時はダメなのだけれど…。
このピアニストと一緒に二月に2台のピアノのためのコンチェルトを演奏した。もちろん私はピアノの弾き振りという、ピアニストと指揮者の二役をしなければならなかった。
練習中に不思議なことがおこった。もちろんプロのすごいピアニストと一緒に演奏するのだから、私の方が緊張していて、何とかピアニストについていこうとしていた。ある瞬間、ピアニストの音がなくなった。つづいて私が演奏しなければならない。オーケストラも不安そうに見ている。この瞬間、私はピアノを弾く人から指揮者になってしまう。もっとわかりやすくいえば、いままで必死にピアノを弾いていた気持ちが、突然冷静になり、オーケストラに次の指示を与え、自分の弾いているピアノの音だけでもしっかりしなければと考えてしまうのだ。
指揮者という立場は何か演奏の事故が起こると、これほどまでに冷静になるのかと改めて感じたのである。